澤村田之助 (6代目) (SAWAMURA Tanosuke VI)

六代目 澤村田之助(ろくだいめ さわむら たのすけ、1932年(昭和7年)8月4日 -)は歌舞伎役者。
屋号は紀伊國屋 (歌舞伎)、定紋は釻菊、替紋は波に千鳥。
舞踊の芸名は藤間勘之。
重要無形文化財認定(人間国宝)。
本名は山中 宗雄(やまなか むねお)。

静岡県立伊東高等学校卒業。

澤村宗十郎 (7代目)の芸を受け継ぐ女形として活躍するほか、横綱審議委員会の委員の一人としても名を連ねている。

年譜
1932年(昭和7年)8月4日、澤村田之助 (5代目)の長男として東京に生まれる。

1941年(昭和16年)4月歌舞伎座で『伽羅先代萩』の鶴千代、『高時』泰松で四代目澤村由次郎を名乗り初舞台。
その後学業・戦時疎開の為に一時舞台を離れる。

1953年(昭和28年)菊五郎劇団に復帰。

1954年(昭和29年)4月『小袖曽我薊色縫』の寺塚求女役で演劇界賞受賞。

1964年(昭和39年)父・五代目田之助の引退に伴い、同年4月に歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵・九段目』小浪、『神霊矢口渡』のお舟、『頼朝の死』の小周防で六代目澤村田之助を襲名。

1997年(平成9年)紫綬褒章受賞。

2002年(平成14年)重要無形文化財各個保有者(人間国宝)に認定。

語録
2009年初場所で横綱朝青龍明徳が優勝の決まった土俵上で見せたガッツポーズについて、「長く相撲を拝見しているが、こんな横綱はいなかった」と発言。

[English Translation]